Exhibition
特別展示室 「その他、企画」第12回2026.7.17 FRI

「ミステリー文学資料館ニュース」 再録(2)

「三毛猫ホームズ」誕生25周年で、赤川次郎氏にインタビュー

 ミステリー文学資料館が発行していた冊子「ミステリー文学資料館ニュース」を再録するシリーズ、その第2回は20036月発行の第7号を紹介する。
 この号のメイン記事は赤川次郎氏のインタビュー。〈かくて「三毛猫ホームズ」が誕生した〉と題し、リード文に「もっとも成功したシリーズ・キャラクターといわれる〝三毛猫ホームズ〟。今年で二十五年を迎えた――。」と書かれているように、赤川作品を代表するシリーズの誕生25周年を記念してのインタビューだった(聞き手:山前譲氏)。

 まず、シリーズ第1作の『三毛猫ホームズの推理』(1978年刊、光文社カッパ・ノベルス)の刊行の経緯について赤川氏は語る。
「鮎川哲也さんの鉄道ミステリーのアンソロジーに、『幽霊列車』を入れたいという話で編集者の方と会ったんです。そのとき、何か面白い題材があったら書いてみませんかと。(略)たまたまそのころ、長年飼っていた猫が死んでしまって、記念に出演させてやろう、どうせだったら探偵にしてあげようと、三毛猫を主人公にしました。最初は猫が喋るというか、タイプライターを叩いて人間と会話できるような感じで書いたんですけど、これはちょっとミステリーとしてはというので書き直しました。あくまで猫の自然な動きのなかで推理するように」

 思わぬきっかけで始まったシリーズだが、この作品が赤川氏の作家人生の大きな転機となった。
「当時は雑誌の新人賞をとったくらいでは注文がこないですよね。(略)『三毛猫ホームズの推理』で書けそうだということになったのでしょう。いろんな雑誌からいっぺんに注文がきたんです。それで、勤めを辞めていいかなと。」

 その後に続くシリーズ作品も大ヒットを続け、インタビューの前年の2002年にはシリーズ第39作となる『三毛猫ホームズの戦争と平和』が刊行された。ひとつのシリーズを長期間執筆し、人気を博し続けることについて、赤川氏は、
「いつも変わらないところに良さがあると思います。ある程度のマンネリみたいなもの、シリーズのお約束の楽しみがある。(略)お母さんが読者で、家にあったから読み始めたなんて聞くと、嬉しいですね。二世代、三世代にわたって読んでもらえるなんて、望んでもなかなかできないですから。そいうお手紙をいただくと嬉しいです。」

 情熱的に健筆を振るう赤川氏は、「三毛猫ホームズ」シリーズだけでなく続々と作品を生み続け、「作家生活50周年」を迎えた今年(2026年)、総作品数は670作を数えている(本稿掲載時点)。
 本記事は、今後も第一線で活躍し続けるであろう赤川氏の、ひとつの節目を振り返る意味でも、貴重なインタビューといえる。

  • 7号、赤川次郎氏インタビュー記事の1ページ目。写真は左が赤川氏、右が聞き手の山前譲氏。

  • インタビュー記事の2ページ目。写真は『三毛猫ホームズの推理』の初版本と、インタビュー当時の最新作『三毛猫ホームズの卒業論文』が連載された「小説宝石」誌。

  • インタビュー記事の3ページ目。最後に「三毛猫ホームズ・シリーズ全作品」(カッパ・ノベルス)が付されている。

  • この号の最終4ページには、2003514日から始まった資料館での展示「日本ハードボイルドの原点 大藪春彦・結城昌治・生島治郎」の解説と案内を掲載。1945年の終戦後より、日本に本格的に輸入されたハードボイルド小説。その黎明期に活躍した三人の作家に注目したこの展示では、国産ハードボイルドを新しいジャンルとして根付かせた活動を、著作や生原稿などで振り返るものだった。結城昌治の『死者におくる花束はない』『軍旗はためく下に』の初刊本(上写真)、大藪春彦の『マンハッタン核作戦』の原稿と初刊本(中写真)、生島治郎『追いつめる』の原稿と初刊本(下写真)など、貴重な資料が展示された。

    (注・現在はこのミステリー文学資料館はありません)