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「その他、企画」第8回2025.4.16 WED

鮎川哲也特集(3)

鮎川哲也、飛躍の時代

 『黒いトランク』の刊行後、発表媒体はヴァラエティに富んでいくが、19571月号から「少年画報」に連載された「片目の道化師」など、とくに年少者向けの作品が増えているのは特筆される。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを持ち出すまでもなく、戦前からそのジャンルは人気があり、戦後も活気を呈していた。また、「中学時代」のようないわゆる学年誌での連載は、1959年から1963年まで途切れなく続けられている。

  • 「中学時代三年生」に掲載された「斑鳩の仏像」。切り抜きが入っていた封筒には、著者のメモが書かれている。

  • 同じく「中学時代三年生」に掲載された「幻の射手」と「テープの秘密」。

 その1959年は作家活動の大きな飛躍の年となった。「宝石」に『黒い白鳥』を連載し、『憎悪の化石』を講談社から書き下ろし刊行した。そしてその二作で、翌年、日本探偵作家クラブ賞の栄冠に輝くのだ。1959年にはもう一作、短めの長編も書き下ろしている。『白の恐怖』である。桃源社「書下し推理小説全集」の一冊だった。

 探偵小説から推理小説、あるいはミステリーと名称が変化していく過渡期の企画だったものの、全15巻のラインナップは1957年デビューの仁木悦子を除けば、ベテラン揃いという印象を持つだろう。日本手拭いという宣伝材料はそれにふさわしいと言えるかもしれない。

  • 桃源社「書下し推理小説全集」の宣伝材料の手拭い。錚々たる執筆陣のサインが並ぶ。

 ようやく作家活動が安定し、鮎川哲也は1960年末、鎌倉に新居を構える。ハヤカワ・ポケット・ミステリの目録から読みたい作品をリストアップするのも楽しみとなった。取材などで旅をする機会が増え、駅弁の掛紙を集めるという新しい趣味も楽しんでいる。

  • 鎌倉の新居にて、雑誌のインタビューを受ける。

  • ハヤカワ・ポケット・ミステリの目録で、読みたい作品をチェックしていた。

  • 取材旅行では、電車の切符や航空券、観光地のチケット、駅弁の掛紙などを持ち帰りコレクションしていた。