香山滋特集(1)
香山滋、その衝撃的なデビュー
1945年8月の終戦で、日本社会は復興への道を歩み始める。東京は空襲で焼け野原となってしまったものの、読書欲まで失われたわけではなく、出版界の活発な動きが目立った。それは戦争中の言論弾圧の反動でもあったが、探偵小説もまた例外ではなく、1946年には「ロック」(筑波書林)や「宝石」(岩谷書店)を皮切りに専門誌が次々と創刊されている。
なかでも探偵作家として知られた城昌幸を編集主幹とした「宝石」は、金田一耕助初登場の横溝正史『本陣殺人事件』の連載など、充実した誌面で斯界をリードしていく。そして新人発掘にも意欲的だった。最初の新人賞の締め切りは1946年8月末ながら、かなり応募があったようだが、12月号にその結果が発表されると当選作はなんと7作!
順不同で列記すると飛鳥高「犯罪の場」、鬼怒川浩「鸚鵡裁判」、独多甚九「網膜物語」、香山滋「オラン・ペンデクの復讐」、山田風太郎「達磨峠の事件」、岩田賛「砥石」、島田一男「殺人演出」で、あまりに多すぎて一度にその作品を掲載することは出来なかった。
「宝石」1947年4月号の表紙。
「宝石」同号の目次。写真中央の「当選小説三編」の中に香山滋の名前がある。
掲載された「オラン・ペンデクの復讐」の扉ページ。
そのため香山作品が掲載されたのは1947年4月号だったが、入選後にめざましい創作活動を見せたのは香山滋である。当時の大蔵省に勤務していたが、あまりに多い原稿依頼で徹夜することもたびたびだったらしい。そしてやはり「宝石」に発表した二作目の「海鰻荘奇談」で第一回探偵作家クラブ賞の新人賞を受賞していることからも、香山作品への注目度は明らかだろう。
『別冊宝石』1948年1月号の表紙。
デビュー作の続編「オラン・ペンデク後日譚」は同誌に掲載された(目次の右端)。
「オラン・ペンデク後日譚」の扉ページ。