戦前評論特集
小酒井不木、松本泰、甲賀三郎が先駆けた 黎明期のミステリー評論
現在でもミステリーの評論書はなかなか刊行が難しいが、インターネットなどなく情報収集の困難だった戦前には、雑誌等で断片的に情報が伝えられても、評論書としてまとまる機会はあまりなかった。
おびただしい数のミステリーを発表した小酒井不木(1890-1929)だが、最初に注目されたのは評論だった。1921年、『東京日日新聞』に連載した『学者気質』のなかで書かれた「探偵小説」が、「新青年」の編集長だった森下雨村の目に留ったのである。以後、医学者としての研究のかたわらミステリーの評論を手がける。江戸川乱歩がデビュー作となる「二銭銅貨」を森下雨村のもとに送ったとき、推薦文を不木に委ねたことは有名なエピソードだ。『殺人論』(1924)、『近代犯罪研究』(1925)、『犯罪文学研究』(1926)、『毒及毒殺の研究』(1929)などの評論書があるが、『科学探偵』は西洋の実際の犯罪において、
小酒井不木『科学探偵』(春陽堂、1924)
松本泰(1887-1939)は「新青年」が中心であった戦前のミステリー界において、ちょっと違った立ち位置にいたと言えるだろう。1913年からイギリスに遊学し、帰国後は「三田文学」などにその体験をベースにした小説を発表した。一方で1923年に「秘密探偵雑誌」を創刊している。関東大震災によってそれは短命に終わったものの、1925年に「探偵文芸」と改題して復活、やはり探偵小説の創作や翻訳を手掛けた妻の松本恵子の人脈も生かして「新青年」とは違った作家をラインナップしている。エドガー・アラン・
松本泰『探偵小説通』(四六書院、1930)
甲賀三郎(1893-1945)は戦前のミステリー評論においては特筆される論客と言えるだろう。大正末期、「本格」という用語を最初に使いはじめたとされているが、「本格」と「変格」をめぐって1931年に大下宇陀児と論戦を交わした。1935年から翌年にかけては、「ぷろふいる」に連載した「探偵小説講話」で木々高太郎との論争が話題となった。『犯罪・探偵・人生』(1934)はエッセイ的なものも多いけれど、そのミステリー観は随所に見られる。終戦直後のミステリーブームに存命だったら、斯界はもっと刺激的なものになったことだろう。
甲賀三郎『犯罪・探偵・人生』(新小説社、1934)