Exhibition
希少本コレクション 第1回2024.4.23 TUE

『無残』黒岩涙香

「日本探偵小説の嚆矢」となる作品

人間は好奇心が旺盛で、謎めいたことや奇妙な現象に興味を持ってしまう。それをミステリーという形式に整えたのはアメリカ人のエドガー・アラン・ポーだった。1841年に発表されたポーの短編「モルグ街の殺人」以後、欧米でさまざまなミステリーが発表されるが、そうしたミステリーを明治時代、いち早く日本に紹介したのが黒岩涙香だった。

1892年に創刊した新聞の「萬朝報」で、涙香は『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』『巌窟王』『噫無情』といった海外の作品を翻訳して掲載している。そして自らも創作したミステリー(当時は探偵小説と称していた)の短編が「無惨」である。

1889 (明治22年) に 『小説叢』に掲載され、翌1890年(明治23年)に単行本として刊行された。 のちに『三筋の髪』と改題されて再刊されてもいる。 この書影は初刊本を保存用に作り直したものだ。 時代性たっぷりの挿絵は玉亀の手による。

江戸川乱歩は評論「涙香の創作『無惨』について」で、その内容は純粋推理であるとしたあと、“所轄警察署の老練刑事谷間田(四十歳位)とその部下の新参刑事大鞆(二十五、六歳)との手柄争いで、谷間田は経験派、大鞆は論理派、そして結局論理派が勝利を占める。大鞆はシャーロック・ホームズ或はソーンダイク博士を青年にしたような人物で、論理学、推理、演繹、帰納、ハイポセシス、ヴェリフィケーション、ミステリーなどという当時としては非常にハイカラな言葉を連発する学者探偵である”と評していた。

それは取りも直さず黒岩涙香が当時、 欧米のミステリーの魅力に通暁していたことの証だろう。