探偵文芸
「秘密探偵雑誌」を継承し、松本泰・恵子夫妻が再び創刊
1923(大正12)年に創刊されてわずか5号で廃刊となったのは「秘密探偵雑誌」だが、発行人である松本泰・恵子夫妻の探偵雑誌への情熱は薄れることはなかった。1925(大正14)年3月、「秘密探偵雑誌」の改題を謳って創刊されたのが「探偵文藝」である。ただし巻号数は引き継いでいない。
この雑誌の執筆陣も松本夫妻ならではの人脈を生かしてのものだった。まず注目されるのは創刊号に「のの字の刀痕」を発表した林不忘である。ほどなく牧逸馬と谷譲次のペンネームも駆使して、大衆文芸の人気作家となった。林不忘の作家としてのスタートは「探偵文藝」だったのである。
1925年7月、城昌幸が「秘密結社脱走人に絡る話」を発表する。すでに詩人としては知られていたが、以後、毎号のように小説を発表した。詩人らしく散文詩的な短いものだが、当時ようやく形成されつつあった探偵文壇とはやや離れていた、「探偵文藝」らしい雰囲気の作品である。
江戸川乱歩『幻影城』には、「両君とも松本氏の後輩として親しい関係にあり、雑誌の編集にも携っていたのだと記憶する」と書かれている。
チェスタートンやクリスティの短編、ラインハーツなどの翻訳、そして犯罪実話と、「秘密探偵雑誌」の編集方針を受け継いだ誌面は賑やかになっていく。1926年1月発行の第2巻第1号は200頁を超えるボリュームだった。江戸川乱歩がこの雑誌に書いた唯一の短編である「毒草」が掲載されている。
とはいえ翻訳以外の小説は松本泰作品が中心で、林不忘と城昌幸のほかには個性的な作家が登場していない。創刊時は編集部が丸の内ビルにあった。新雑誌にかける意気込みが伝わるが、ほどなく東中野の松本夫妻の自宅に移っているから、やはり商業的には難しかったのだろう。次号から編集部が三角社になると告知された1927年1月発行の第3巻第1号をもって廃刊となってしまう。


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