探偵文学

探偵文学【1935年~1937年発行】

同人誌ながら、多数の探偵作家が寄稿

「シュピオ」の前身雑誌である「探偵文学」は、1935(昭和 10)年 3 月に創刊された。前年 7 月、東京で、「ぷろふいる」の愛読者の集まりとして、鮫島龍介(野島淳介)を中心とする探偵作家新人倶楽部が発足した。10 月には会誌「新探偵」を創刊したが、ほどなく、鮫島らの甲賀三郎を中心とする運営に反発があり、独立した同人によって創刊されたのが「探偵文学」である。
創刊号での同人は、明石富久夫、青海水平、大慈宗一郎、伊志田和郎、栗栖二郎(のちの水上幻一郎)、中島親、波蜻二、荻一之介、蘭郁二郎、常盤元六(村正朱鳥)、伴代因(伴白胤)、内海蛟太郎、米山寛の十三人だったが、次号から青海と栗栖が、次々号から波と内海が、さらに明石がと抜けていった。一方、第 6 号からは、平塚白銀と竹村久仁夫が参加している。一応、定価はつけられていたが、純然たる同人誌で、月会費は一円五十銭だったという。資金の不足は、大慈宗一郎の母や蘭郁二郎が負担していた。
創刊号こそ同人だけで誌面を埋めたものの、第 2 号は「江戸川乱歩号」と銘打って、探偵作家の寄稿を仰いでいる。「たとえ同人雑誌にもせよ、江戸川乱歩号というものを出してくれたのは、初めてのことなので、この号は私を大いに喜ばせたものである」と、江戸川乱歩は『探偵小説四十年』に記した。もとより原稿料など出ない雑誌ながら、当時の探偵作家は快く寄稿している。角田喜久雄、海野十三、大下宇陀児らが巻頭を飾り、第 7 号の「小栗虫太郎号」は当時の主な探偵作家が総登場だった。
最初は、大慈宗一郎の弟宅においた「探偵文学社」が発行所で、中島親が編輯兼発行人となっていた。ところが、1935 年 11 月掲載の「或る変質者の話」が発禁処分を受けたことから、発行所を蘭の関係する学芸書院に、そしてさらに古今荘へと移し、蘭が編集のイニシアチブをとるようになる。1936 年 4 月の一周年記念号は、再び多くの探偵作家諸氏が寄稿していた。
創作も、1936 年からは三十枚程度のものが掲載され、蘭の長編『白日鬼』の連載など、しだいに充実してきた。ところが、「探偵文学」は 1936 年 12 月でひと区切りをつけてしまう。11 月 28 日に行われた蘭郁二郎『夢鬼』の出版記念会が、同時に「探偵文学」の解散の会となった。「探偵文学」は改題を謳って廃刊となる。