探偵
短命ながらも世相を反映した個性的な探偵雑誌
もっとも探偵小説の雑誌らしい雑誌名と言えるが、1932(昭和6)年5月に創刊された「探偵」は、探偵小説史のメインからは外れたところにある。探偵小説専門誌というより、探偵小説と犯罪実話の雑誌であり、猟奇的な内容で読者の興味をそそっていた。編集後記から編集長は福田武夫と思われるが、探偵文壇とのかかわりは不明である。
発行元の駿南社は、ほかに「漫談」「日活画報」「水泳界」といった雑誌を発行している。このうち「漫談」ではその頃、長編探偵小説の須藤鐘一「病原菌」を連載し、「皆な国境へ行け」と題した連作探偵小説を試みていた。そのほか、城昌幸の作品が載ったりもしていたから、社内的に探偵小説への関心が高まっていたのだろう。
創刊号は甲賀三郎、横溝正史、浜尾四郎ほか豪華なラインナップだった。翻訳ものも掲載し、本格探偵小説や短編探偵小説の募集もしていた。だが、しだいに犯罪実話が多くなり、巻頭の口絵も猟奇的な写真で占めるようになる。そこには当時の日本社会の世相が反映されていたのだろう。とはいえ、探偵文壇とは離れたところで発行されていただけに、ほかの探偵雑誌では見かけない作者が多くて興味深い。
1931年12月の最終号は、翻訳以外、ほとんど実話で占められていた。そして翌32年1月からは「犯罪実話」と誌名そのものも変えてしまうと告知されている。その「犯罪実話」は巻号数を「探偵」のものを引き継ぎ、クリステイ「列車殺人事件」の連載も引き継がれている。
その改題一号がいきなり発禁処分となったほどで、「犯罪実話」はその名の通り実話中心の煽情的な雑誌だった。しかし、大庭武年や九鬼澹の探偵小説が掲載されたり、まだ新聞記者だった島田一男の記事があったりと、探偵小説史的に、「探偵」と「犯罪実話」の流れをまったく無視することはできない。