シュピオ

シュピオ【1937年~1938年発行】

探偵小説隆盛期の掉尾を飾った「シュピオ」

「探偵文学」の巻号数を引き継ぎ、発行所の古今荘も変わらず、そして引き続き蘭郁二郎が編集に携わったとはいえ、1937 年 1 月に改題第一号の出た「シュピオ」は、まったく新しい性格の雑誌である。その創刊の意図は、同人の連名による「宣言」で明らかだろう。探偵小説から空想科学小説へと移ろうとしていた海野十三、『黒死館殺人事件』で探偵小説ファンを驚かせた小栗虫太郎、デビューしてまだ数年ながら探偵小説芸術論で斯界を刺激した木々高太郎。この三人が資金を出し、大衆娯楽雑誌ではなく、真の専門雑誌を目指したのが「シュピオ」であった。誌名はロシア語で探偵を示す「シュピオン」から採られている。木々の発案だった。
新雑誌「シュピオ」がスタートしてまもなくの 2 月、木々高太郎が『人生の阿呆』で直木賞を受賞する。探偵小説としては初の受賞である。5 月は「直木賞記念号」と銘打った二百ページを超す特大号となり、木々の選で主な探偵作家の作品を再録した。巻頭に当時の出版社の広告があるが、その豪華なラインナップが、当時、いかに探偵小説ブームであったかを証明している。
けれど、この直木賞受賞が、江戸川乱歩が言う「探偵小説第二の山」のピークとなってしまう。1937 年 4 月で「ぷろふいる」が、8 月に「探偵春秋」が廃刊となり、探偵小説専門誌は「シュピオ」のみとなる。9 月からは「ぷろふいる」系の執筆者も加わり、江戸川乱歩ら探偵作家も寄稿するようになった。10 月には蘭が同人に加わり、限られた誌面のなかに当時の探偵文壇が凝縮されていた。だが、その 10 月から、「時節柄を考慮して」会員に限り頒布する方針をとりはじめたことでも明らかなように、強まる戦時体制のなか、探偵小説の執筆はしだいに窮屈になっていく。
1938 年 4 月、さまざまな思いを秘めて「シュピオ」は廃刊となる。孤塁を守っていた「シュピオ」の終焉が、ある意味で、戦前の探偵小説界の終焉ともなったのだ。